育休父さんの成長日誌

朝日新聞朝刊 家庭面 (毎週木曜)連載
脇田能宏担当分: 1997年10月2日〜1998年1月29日

199710/2主夫になった日
10/9名を贈る
10/16最後の出社日
10/23どっちが取る?
10/30ひなたぼっこ
11/6ウンチ
199711/13主夫の気持ち
11/20妻の一言
11/27いつもの一日
12/4子育ての報酬
12/11お呼び出し
12/18家事と子育て
199712/25保育園
19981/8どうして?
1/15住み慣れた街
1/22子育ての時間
1/29夫婦の道のり

【夫婦の道のり】

 最近、「どんな風に今の夫婦関係を作ったか」とよく聞かれる。僕たち夫婦の道のりを振り返ってみたい。
 僕たちは大学の同級生として知り合い結婚し、最初の二年を学生として過ごした。親友で恋人、というスタートだ。そのころの僕は、将来の生活スタイルを深く考えていなかった。一方妻はすっかり専業主婦になる気でいた。当時妻は、腰掛けで勤めて出産退職し、あらん限りの手間と時間をかけて、子供を育てるつもりだった。僕が転勤になったら当然単身赴任、とも言っていた。
 妻の仕事について、僕が強いることではないと思ってはいたが、しかし妻の描くイメージを聞くうち、不安になった。今二人が持っている、手をつないで隣を歩いている感じを失ってしまうと思ったからだ。だが実際には、それを変えるために何をするでもなく、日々を過ごしていた。
 しかし就職後、状況は変わった。同じように働き、給料を稼いでくると、一人が残業放題で一人が家事を抱え込むことの不釣り合いが、とてもはっきりする。妻はイライラをつのらせ、ついには二人で生活スタイルを見直すことになった。
 既に偏った生活に慣れていたうえ、僕がずぼらなので、分担を動かして行くのはお互いしんどかった。ケンカもたくさんした。だが、お互いのこと、自分のことを真剣に考え、認め合ってゆく実感があるから、夫婦の信頼関係がとても強くなっていったと思う。
 就職して二年目の秋ごろには、腰を落ち着けて共働きを続け、二人で家を買い、そこで子供を二人の手で育ててゆこうと、意見が一致するまでになった。そして子供が生まれて、生活を工夫するうち、共に働き、子供を育てるのが、とても僕たちらしい生活だと感じるようになった。僕の育児休業も、二人の関係を見つめ直すよい機会だった。

◇ ◇

 第二子誕生後の出来事を中心に、夫婦で育児を分かち合う生活をつづってきました。まだまだ書いてみたいことはありますが、それにかまけて仕事や育児を放り出すわけにもいきません。ひとまず筆を置き、一介の子育て父さんに戻ろうと思います。読者の皆様のお手紙に励まされて無事連載を終えることができました。ありがとうございます。

(電機メーカーエンジニア) イラストを見る

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