十一月二十八日、出生届を出した。名前は尚紀(なおき)にした。育児をしないお父さんでも、名付けには参加するという人は多い。おなかの赤ん坊の存在を日々感じている母と違い、現実感に乏しい父にとって、名前を考えるのは「子どもがやって来るんだ」という実感を持てるいい機会だ。
おなかの子に名前を付ける「胎児名」も面白い。一生の名ではないので気軽につけられる。我が家では一人目も二人目も「たま」なのだから本当にいいかげんだ。そのまま名前にしてしまわないようにと猫みたいな名にしたのだが、実は我が家が東京の多摩にあるからという説もある。名前で呼ぶと、とたんに一人そこにいる感じがして、新しい家族を迎え入れる気分になれる。おなかに向かって「赤ちゃん、おはよう」では気恥ずかしいが、「たま、おはよう」だとしっくりくる。
一方、気軽にすまないのが本物の名付けだ。願わくば、本人が気に入ってくれたら……。しかし、赤ん坊は答えてくれない。だから精いっぱい子どもの未来を思い描くのだが、考え方は本当に十人十色。名前を巡って祖父母も巻き込み、ひともんちゃくあった話も結構聞こえてくる。我が家は尚紀の祖父母が我々の考えを尊重してくれたので幸いだった。
さて、全権委任された我々は出産の四カ月ほど前から悩んだ。字の印象や音の響き、親しみやすさなどあれこれ二人で考え、十数個の候補を書き出した。そして、生まれてきた子の顔を見てイメージに合う名前を選んだ(つもり)。でも結果は、一人目の広基は夫婦の出会いの場にちなんだ名だし、二人目は生まれ出た顔を見たとたん「兄ちゃんそっくり」と候補の中から音がそろう尚紀にした。大げさな緊張と、平凡な結末。名付けは難しくて楽しい。
小心者の僕らと違って大胆な名を贈る人もいる。友人の俊平太(しゅんぺいた)は、父親が著名な経済学者シュムペーターからとったそうだ。少年時代はからかわれたが、みんな一度で覚えるし、海外でも通りがいいから気に入っているそうだ。彼の父はその後も、乾平太・林虎太(りんぴょうた)と勢いよく名付けたが、さて成功だったのかは、つけられた本人たちだけが知っている。