育休父さんの成長日誌

朝日新聞朝刊 家庭面 (毎週木曜)連載
脇田能宏担当分: 1997年10月2日〜1998年1月29日

199710/2主夫になった日
10/9名を贈る
10/16最後の出社日
10/23どっちが取る?
10/30ひなたぼっこ
11/6ウンチ
199711/13主夫の気持ち
11/20妻の一言
11/27いつもの一日
12/4子育ての報酬
12/11お呼び出し
12/18家事と子育て
199712/25保育園
19981/8どうして?
1/15住み慣れた街
1/22子育ての時間
1/29夫婦の道のり

【最後の出社日】

 十二月五日、育休前の最後の出社日。妻の出産から数日は年休をとって休んでいたが、今日は出社して片づけと引き継ぎ、そして育児休業の事務手続きをした。帰りぎわ、職場のみんながお祝いの言葉と花束を贈ってくれた。まるで僕が出産したみたいな面はゆい祝福に、この職場にいることが心底うれしくなった。
 僕の職場は、超過密スケジュールで開発をバリバリ進めている部署だ。未婚の若手が多く、当然育休の前例もない。勢いづいて育休を取るのはいいが、「あとは野となれ」では自分が困る。病気休業と違い、育休は何カ月も前から休むのがわかるのだから、できる限りの努力と工夫はしておこうと思った。考えた結論は「周知徹底」「事前準備」そして「堂々と」である。
 普段から周囲に自分の生活状況や考え方を周囲に知らせておくと、何かのとき理解が得られやすいようだ。僕は上の子を保育園に迎えに行くため、五時前後に退社することがよくあった。その折に、妻も同程度働いていて、保育園の迎えも分担であることを、折に触れて伝えておいた。僕も育児の責任者であることを、みんなに理解してもらう良い機会だったと思う。
 育休を取ることを初めて上司に告げたのは五月。定期面談でのことだ。四月末に部門を変わった直後だったので、もう少し上司と分かりあってから、とも思ったが、極力早く伝えた方がトラブルは少ないと考え、この日に決めた。上司は「脇田家は進んでるんだねぇ」と驚きはしたが、早速業務内容の相談をして、休業前で一段落するテーマを割り当ててくれた。そして僕自身、区切り良い作業と引き継ぎの徹底を心がけた。
 あとは、取ると決めたら妙に卑屈にならず「これからも生き生きと働いていくため」と堂々とすることだ。今回、人事部門は実に淡々と事務的に手続きを進めてくれた。分別ある大人の対応に感心したが、こちらが前向きに今後のことを考えていたのもプラスだったのでは、と少しうぬぼれている。ともあれ円満に子育て生活の本編突入である。

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