分科会紹介

 感情をわかちあうことは豊かな人間関係をつくる上で欠かせません。しかし、私たち男性にとって、それは得難い体験であるかのように感じられているのではないでしょうか。

 多くの男性は幼いころから「男は涙を見せてはならない」「男なら我慢しろ」と親や先生や友達からいわれ続け、自分でもそう思うようになった結果、自分が今何を感じているのか、また、たとえ感じていてもそれをどう表現したらいいかわからないといった状態になりがちです。いわば他者と深く精神的につながるためのパイプがはずされたようなものです。

 この分科会では、アメリカの心理学者ロナルド・F・レバントが男性を対象に実践している方法をもとに、参加者の皆さんと工夫しながら、主として、
 (1) 自分の感情表現度を知る。
 (2) 自分の感情を感じとる。
 (3) その感情に言葉を与える。
 (4) 人の感情を知る。
といったことを、体験を通して習得することで、他者との豊かな人間関係を築いていくための基礎を得ることを目的としています。

分科会報告

 この分科会では、男性の「感情」に焦点をあてたグループワークを行いました。その趣旨は、「分科会紹介」にあるとおりです。

 開始前はどれほど集まるかわからず、小人数の場合は個別のカウンセリングを行おうかとも考えていました。ところが、この予想に反して、19名の方々が参加してくださいました。まずは、この参加者の皆さんにここであらためて感謝申し上げたいと思います。

 さて、伝統的な男らしさが禁止令のようになって、男性が他者と感情をわかちあったりコミュニケーションをしたりすることを妨げているのではないか、というのが、この分科会をすすめていく上で私が基本的に認識していたことです。

 つまり、自分が今何を感じているのか、また、たとえ感じていてもそれをどう表現したらいいかわからないといった状態は、幼いころから親や先生や友達からいわれ続け、自分でもそう思うようになった伝統的な男らしさの禁止令(たとえば、「男は涙を見せてはならない」「男なら我慢しろ」)が大きな原因の一つではないかということです。

 では、その禁止令に気づき、自分本来の生(ナマ)の感情を育て、表現するのはどうしたらよいか、ということを探ることがこの分科会で主眼としたことでした。また、「アレキシサイミア」は、この分科会での一つのキーワードでした。

 当初、この言葉は、心身症、薬物依存、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に顕著にあらわれる症状の一つとして示されたものでした。この用語は、ギリシア語を語源とする一連の言葉から成り立っています。すなわち、A(without欠落)LEXUS(word言葉)THYMOS(emotions感情)の3つの言葉を合わせた造語で、感情に対する言葉の欠落を意味します。つまり、アレキシサイミアとは、感情を認知できない、感情と言葉を結びつけることができない症状です。

 アメリカの心理学者ロナルド・F・レバントは、PTSDなどの精神障害をもつ人にみられる重いアレキシサイミアではなく、もっと軽い症状のアレキシサイミアが、ごくふつうの男性に広く浸透していることを指摘しました。彼は、禁止令としての伝統的な男らしさが、マイルドなかたちのアレキシサイミアを引き起こす要因の一つであると考え、「規範的男性アレキシサイミア」という言葉を作っています。また、それに基づいた心理療法を行っています。

 この分科会は、このレバントの着想にもヒントを得て、なおかつグループワークの(具体的には構成的エンカウンターグループの)基本的な流れに沿って、プログラムを構成してみたものです。具体的には、次の表をご覧ください。

当日は、この流れに沿って、途中、休憩をはさみながら行いました。実際には、この表の「5.自分の感情体験をふりかえる(ワークシート2)」を終えたところで、クロージングに移り、3時間のプログラムを終えました。

 参加者を「男性のみ」に限ったのは、昨年秋に大阪のメンズリブの例会に参加した体験からでした。男性のみのこの例会では女性の目を意識せずに本音が語れる気楽さがありました。今年になってから水野阿修羅さんの「男のためのコミュニケーション教室」に参加したときも同様の感覚がありました。要するに、この2つの体験から、「感情をつかみ表現するため」というテーマでも「男性のみ」に限った方がより効果があると考えたのです。実際にやってみて、やはりそれで良かったと思っています。

 人間であるならば、誰でも、自分の思いが相手に伝わらなくて、つらい思いをしたことが多少なりともあるはずです。相手に伝えにくいからこそ、どうしても伝えたい、そうしてお互いに心をかよいあわせたいと願うのが人情だと思います。伝統的な男らしさが、その大きな障壁の一つになっているのなら、それを乗り越えられるにこしたことはありません。このグループワークが、そのはたらきかけの一助になれればよいと思いました。

 しかし、このプログラムは、ごくはじめの試案にすぎません。参加いただいた方々からの率直な感想の積み重ねによって、より適切な内容になっていくものと思います。特にアメリカ人向けのプログラムは「感情表出」が強調されすぎるという印象を私は受けます。日本の男性にとって「感情をつかみ表現するために」どのようなプログラムが最も適切なのかについては、まだまだ手探りの状態です。今回のプログラムについて、皆さんからのご意見やアドバイスをお寄せいただければ幸いです。

 こうしたグループワークを行うたびに感じるのは、グループの成否は参加者の力にかかっているということです。今回は参加者の皆さんのご協力で意義ある3時間をつくることができました。重ねて感謝申し上げます。