だんご三兄弟 夫婦で育児by わきたさきこ home 掲示板 メール  
生活記録

極私的おシゴト史:わきたさきこの場合

職業意識なし、ほんの2、3年の腰掛けのつもりで勤め始めたはずが、今や育休を取りたがらないほどの仕事フリーク。でありながら、仕事に割く時間は極力抑えてノー残業ベースのまま、「私は会社にこのような貢献ができます」としれっとアピールするスタイル。

ここまでの紆余曲折を支えてきた様々な「出会い」に感謝をこめて、ぼちぼちご紹介していきたいと思います。

File No.0 Tさん
母の昔の教え子の夫

「母の昔の教え子の夫」って、そりゃほぼ他人ではないかと思われるでしょうが、その「教え子」は母からピアノを習わなくなってからもずっとちょくちょくうちに出入りしていて、母がお見合いのセッティングにも関わったらしい(私は結婚式で「すそ持ち」を担当)。結婚後も引き続き、夫婦でよく我が家に来ていたので、私が小学校前半くらいのときに、よく遊んでくれたり勉強を教えてくれたりしていました。

Tさんは物理屋さんで、「遊ぶ」の中身は、いっしょに電子キットの組み立てをするとか、プラネタリウムに連れて行ってくれたとか、そういうの。少し大きくなってからは、たぶん算数も教えてくれたと思うけど、主に、物の浮き沈みとか「てこ」「滑車」などの力学的な世界を、きちんときれいな図を描いて教えてくれた記憶があります。

予備校の名物教師のような整った滑らかな説明、というのとは違うのですが、素朴で熱のこもった語り口で、ほんとうにおもしろいと思って話しているし、目の前の小さな子どものこともまったくばかにしていない、むしろ、自分が語りたい話題に興味を持って耳を傾けてくれる相手を尊重しているような感じといったらいいかな。とても誠実な教え方なのです。

内容そのものは、わかったところもあるし、まったくわからなかったところもあったと思います。実際、電気関係のことはほぼ記憶にないし現在でもわからない(^^;;でも、なんとなく「こういう分野がおもしろそうだ」そればかりか「私は理科が得意だ」と誤解するに至ったことが重要なポイントでした。

職業意識がないまま学生時代を過ごし、就職して数年たって気が変わったときに、それでも続けていける仕事があったのは、うっかり理系に進学していたおかげです。つまり、ふだん自分がいるところ、経験している分野と、自分がほんとうに得意なこと、持っているセンスに大きなずれがある。そこを生かすと意外な価値が生まれ、メシの種となるわけです。もちろん、そんなことに気づくのは20年以上あとのことになるわけですが…

File No.1 S先生
卒論・修論のときの指導教官

当時助教授、いま教授。タバコと酒と妻子を愛する。共働きでの子育て生活も長く、「小学校あがるときが問題でねぇ。学童に行きたがらなくてたいへんだったよ」なんて話もしていた。

学生実験の世話のほか、私の卒論、修論の指導をしてくれた先生。本職は実験物理だが、私がS先生の人柄をみこんで指導教官になってくれるようお願いしたら、テーマを曲げて(^^;;つきあってくださった。
#私が卒論に選んだテーマは「数学教育」

修士一年の終わりごろ、そのときやっていたテーマに飽きて「これはもうやめにして別のにしたい、一年遅れてもいいから」などとダダをこねたときがあった。先生はびっくりしたと思うが、私が「こんなの」と絵に描いてきた、雲をつかむような話を真剣に聞いて、その中から「これはこうしたらモノになるかも」などいっしょうけんめいプラスの方向に引き出してくれて、奇跡の立て直しを成功させた(結局遅れずに修士をとれた)。

いつか先生が私について「自分の明確な視点を持って対象に切りこんでいくのがうまい(平たくいうと頑固?)」と評してくれたことがあった。その評は私にとって、ある意味「目から鱗」であったし、ある意味「腑に落ちる」ものであった。

その後、意図的にそれを生かして育てていくことで、私の「仕事力」の核を作れたと思っている。

File No.2 Fさん
同じ研究室の先輩

同じ学科の4年先輩、論文の書き方や発表のときのOHPの作り方など、詳細に建設的に指導してくれたのがFさん。学生結婚の先輩でもある(^^;;大きなお腹を抱えてドクター論文の発表をこなし、そのまま大学に残って先生になった優秀な方。

私が修士卒業&就職というとき、上野千鶴子の「女という快楽」という本をお祝いにくださった。「これから仕事と家庭の両立を目指す貴女の出発を祝って、この本を贈ります」…私は当時、「専業主婦になります宣言」をしていてFさんもそれを知っていたのだが。

沿えてある手紙には「修士卒業という時期は、自分の才能や生来にもまだ迷いがあり、自信が持てないので、女は夫や家庭に逃避しがちです」「夫も子供も貴女の人生を代わりに生きてはくれません。貴女は貴女の人生を自信を持って生きて下さい」と強烈なメッセージ。

よしひろに対しても「早紀子さんを家庭の枠に閉じ込めてしまわないで」と注文をつけていたが、なにしろ専業主婦になるというのは本人の希望であってよしひろはあまり賛成してなかったくらいなのだからとばっちりだ。

Fさんがいろいろいってくださったことは実は当時の私にはあまり響いていなかった(研究のまとめ方などはともかく)。むしろ就職してFさんと会うこともなくなりしばらくしてから、あらためて思い出してなるほどと思うことがたくさんあった。いただいた本も役に立った。「遅効性の師」とでもいうべきか!?

File No.3 Kさん
入社当初の上司

入社したてから6年ちょっと、直属の上司だった人。入社直後の研修中、Kさんが私のところへ将棋部の勧誘に来たのが始まり。そのときの話の様子で私はKさんにピンとくるものがあり、修士論文のテーマからいえばここに入るはず、というところをほっぽらかして「日本語やりたいです」とか突然言いだしてKさんのグループに入った。

それはすごく当たりだった。ブナンな性格な人ではなかった(はっきりいってかなり変人)ので、よく他の人とはゴタゴタを起こしていたらしいけど、私はなんだかウマが合って、いいたいことをポンポンいって平気だった。

私は当初「数年勤めて出産退職」の腰掛け予定だったし、Kさんだって当然そんなことはお見通しだったと思うが、Kさんはそんなことをおくびにもださなかった。ちょうどちょっと工夫すればできて、おもしろいくらいの仕事をうまくつないでふってくれて、私は気がつくとすっかり仕事にノセられていたのだ。

私が仕事に飽きてぼーっとしているとなんとなく雑談しにきてヒントをまいてくれる。私がのっていれば、ほめてほしいところをほめてくれる。全体としては放任ムードなのだが中身とツボはよくわかっている人だった。

それと、特筆すべきは個人のワーク・ライフバランスの選択を完全に尊重してくれたことだろう。私は子供がいないころから、つまり早く帰る必要がなかったときからほとんど残業をしなかった(月5時間とか。そんな人は他に誰もいなかった)が、そのこともただそういうものとして受けとめ、いいとも悪いともいわなかった(態度でも示さなかった)。

入社して間もないころ、家でやった方が早い仕事を持ちかえっていいかどうか聞いたときだったか、残業時間の累積で一日休みにしようとしたときだったか(とにかく超法規的なことをお願いしたとき)、Kさんは「会社と個人がどちらも損をしない範囲であればいろいろできることがあるでしょう」といった。それがすごく印象に残っている。

File No.4 Oさん
入社当初のプロジェクト・リーダー

入社してから5年ほど、プロジェクト・リーダーとしてイチから面倒みてくださったOさん。プロジェクトは自然言語関係(日本語校正支援システム)だが専門はformal languageだとか(通信とかそういう話?私はよくわかっていない)。彼女は気が遠くなるほど多芸多才な人で、民族音楽だの踊りだのバイクだの、調香は先生もできるほどだとか。

もちろんプロジェクト全体よく把握していたんだけど、得意なのはシステム回り。辞書引きを早くすることとか新しい仕組みを作ったりすることについて冴えていた。一方、辞書やルールやら、ごちゃごちゃと現実のユーザーの都合を組みとってじわじわじくじくと知識を盛り込んでいくところはあまり好きでなかったらしい。実は私はまったくキレイに逆の好みを持っていたので、Oさんと私があっちからとこっちからと好きなように改善していくと、まったく競合せずばっちり息があっているという具合。

上司のKさんと同じく、Oさんも私が残業をしないことなどについてまったく疑問を差し挟むことなく、私がやらないことは全部、私が行きたくない遠くの出張とか、私の育休中の穴埋めとか、なんでもたんたんとこなしてくれていた。

プロジェクトが軌道にのって、私も育休から戻ると、Oさんは突然転職を決めてしまった。自分がいちばんやりたかったこと、おもしろいところは済んだし責任も果たしたということらしい。なにか仕事との付き合い方のあざやかさ、生活の楽しみ方なども含めてとても印象深い人だった。

File No.5 KJさん
社内転職直後の上司

研究員としての仕事に見切りをつけ、社内転職を希望したとき拾ってくれたのがこの方。

私としては、今度こそ自分の納得できる仕事のスタンスを見つけよう、と真剣勝負ではあったのだけれど、それは「ブナン」に過ごすこととはまったく違い…。新しい部署の中で、私の持ち込んだ「視点」や「道具」はかなり異色なもの。それを武器に、これでもか、これでもかと既存のプロセスに切り込んでいってかき回すような仕事の組み立て方をしていた。

当時はわりとコンサバな職場風土だったし、いっぱい敵を作っても不思議はなかったんだけれども、たいした問題もなく(と私が感じているだけかもしれないが)着地できたのは、KJさんに守られていたからだなぁと今にして思う。

もやもやしたアイディアや、悩みを抱えているときに、それをそのまま持っていってKJさんに相談すると、「うん、それ、おもしろいじゃない」「それでやってみたら」と、ひょいひょいといいところを拾って、最後にポンと背中を押してくれるような、そんな感じの聞き上手、ほめ上手。

前述の「File No.3 Kさん」の場合は、私とはすごく相性良かったけど、非常に癖のある人だったので合わない人とはまったく合わなくて、一部の部下(複数)とトラブっていたこともあった。KJさんの方は対照的に、幅広くあちこちから慕われているタイプ。

「以前は、マネージャーなんてやるもんじゃないと思っていたこともあったが、50歳過ぎて、人間がおもしろいと思うようになってから、マネージャーもいいかなと感じるようになった」というようなことをおっしゃってました(注:表現不正確)。

* * *

そういえば、私は社内転職の面接のとき、「残業の多い職場だが大丈夫ですか?」と聞かれて「交代で送り迎えをしますので、おおざっぱにいって一日おきなら残業できます」と答えました。「できます」は嘘ではないけど、別に残業するつもりがあったわけでもない。

それは、子どものせいで仕事に制約があるということではなくて、自分が考えるバランスをとったうえで、よい仕事をしたいから。結果的に、仕事のやり方を工夫していけば、残業の必要はほとんどなかったし。KJさんからも、「だまされた〜」というクレームは受けていません(^-^)