認定こども園や放課後子どもプランのような施策が広がるとき、「親の就労の有無で子どもを区別しない」ということが正論らしく語られることがあります。そのこと自体は悪いとは思いませんが、全児童放課後対策事業を行っている自治体の責任者が、「『放課後対策事業で子どもを(精神面まで)見守れ』と保護者は言うが、そのような見守りは親の責任ではないのか」と発言したりするのを聞くと、「おや?」と首を傾げてしまいます。「日中それができないから、そのための学童保育だつたのではないか」と思うのですが、学童保育から全児童放課後対策事業になって、対象が「すべての家庭」になった時点で、議論は「すべての家庭」ベースになってしまっているのです。
もちろん、放課後「心の見守り」を必要としているのは就労家庭の子どもだけではありません。また、小学生を保育園児のように「保育」し続けることが正しいかどうかは議論があります。今、小学生の親全般が、子どもの心や体の状態について不注意になっているというなら、それについては別途議論する必要があるでしょう。
でも、私たち就労家庭は、子ども自身がある程度自立できるまで、家庭に代わる場所と大人の目をどうしても必要としているのであり、それは「子どもへの愛情」とか「家庭の責任」でなんとかなるようなものではないのです。
出欠管理や施設の安全性さえ保障されればいいという話ではありません。全児童放課後対策事業でも、就労家庭の子どもの出欠管理は徹底されるようになってきています。でも、前述の話に出てきた保護者は、それだけでは足りないとうことを「子どもを(精神面まで)見守ってほしい」という言葉で表現したのだと思います。つまり……うまく言えませんが、子どもの気持ちになって表現してみると、たとえば、心がすーすーするときに、背中におぶさったり抱きついたりして甘えられる、お友だちとケンカしたり意地悪をされたりしたときに話を聞いてくれる、心や体がきつくなっているときに気がついて親に知らせてくれる、そんな大人から見守られているという安心がほしい、ということではないでしょうか。
そんなことがすべての学童保育で実現できていたとは言えないし、全児童放課後対策事業の中ではできないとも言えませんが、私が危惧するのは、本来、学童保育ではこういう保育的な「見守り」も仕事の内だったということが、きれいさっぱり忘れ去られてしまうことです。そして、それを「必要だ」と保護者が言った瞬間、「それは家庭の責任では?」と返されてしまうことが、「全児童レベル」では、これからも起こってくるかもしれず、そうなると就労家庭は「保育に欠ける」議論で応戦せざるをえなくなるのではないか、と思われるのです。(実際、働く親の間では、もっと費用負担してもいいから、子どもをしっかり見守ってほしいという希望も聞かれます)。
行政の担当者と放課後事業の「質」の話をしようとしたら、いきなり遊びイベントの中身の話になってしまったこともありました。面白い遊びやイベントでたくさんサービスされる子どもは幸せです。でも、子どものニーズはそれだけではないのです。
(普光院 亜紀)
前号「つうしん」に掲載された「子どもの放課後と家庭責任」についてですが、今の自治体の基本的な考え方は、とにかく「画一」だと思います。それから、よく言われるのは「利用者負担を求めていく」。そして、手間のかかること、例外処理、利用者の少ない事業は、なるべく避ける。
放課後子どもプランも理念はそう悪くはないと思います。
体を動かす子どもが少なくなって(公園でたむろっているのに、男の子などは頭をつき合わせてゲームしてる光景って見ませんか?)、体を鍛えよう!というのはわかります(実際に小学生の体力はどんどん低下してるらしいし)。世の中も物騒だから、学校の校庭に、何人かの大人のスタッフがいて、どんどん遊んでいいんだよ?という事業。校庭も使えるし、学童っ子と他のお子さんたちとの垣根は確かになくなるから、この事業、そんなに悪くはないなあと最初は思ったのも確かです。
でも一方で、学童っ子が必要としていたものが、黙っていたらぽろぽろと消えていっているのも事実なのです。(どうして両者は共存できないんでしょうか?)
留守居家庭が必要としているのは、遊びももちろんだけど、家庭の雰囲気を意識しつつ、ほっとする居場所があり、仲間がいるということ。
のんびり宿題をやったり、具合が悪い日はごろごろしたり、心に何かひっかかって、もやもやしていることを、親の帰りが遅い日は、誰かに吐き出す機会がある、そして見守ってくれる大人の存在。
保育園との大きな違いは、学童は(特に低学年は)友達と一緒に自立していくための準備期間、ということを、息子を見ていて感じました。
それだって、いきなり自立できるわけではなく、ゆきつもどりつ、時には見守られ、時には助けられ(指導員だけでなく、友達の中で)、少しずつ、成長していくのです。
ですから、せめて低学年の間だけは、ある程度小規模な集団(40人から50人で職員3人くらい?)で、安定した信頼関係が結べるような職員に見守られること、それが一番大事だということを、親が今後、学童をよく知らない相手に、どう根気よく伝えていくか、ということです。
自治体の方に、学童保育の大事にしてきた部分を 守って欲しいと伝えると、彼らは必ず勘違いします。保育園のように、子どもの身の回りの世話の、一から十まで面倒みろなんて、そんなの無茶だ、と言い出します。保育園時代のような世話はいらない、保育園の年長組のような、「見守り」でいいのだ、と言っても、「見守り」の意味が通じないのです。
学童に通っていない他の父兄からは、「学童のお母さんたちって過保護。」といわれます。私も言われました。でも目が届く場所に子どもがいる家庭と、物理的に離れてしまう時間があるという家庭が、必要とすること(あえてサービスとは書きたくないのですが)は、違うわけですよね。
過保護にしないって、どういうこと? 一人で家で留守番させて、テレビやゲームをしながら、誰からも語りかけられることもなく、 親の帰りをじっと待つわが子の姿を、想像すると切なくなります。
一番は専任の指導員を複数確保する、というのが 大原則ではないでしょうか。その後物理的な居場所の確保(全児童クラブと場所を同じくするならなおさら広くとってもらわなければなりません)、日々の生活リズム、連絡体制(けがをしたときの対応や、日々の出欠確認などなど)
もちろんトイレは必須で少なくとも職員がわざわざつきそわなくてもいいような場所に設置すること…。
やはりこれから広がるであろうと予想される全児童クラブとのすみわけを、はっきりしたいと思うのですが…。
(N.S)